空席御礼

思いつきの置き場所。

名作紹介シリーズ:Steins; Gate

 怒涛の伏線回収が見どころのゲーム・アニメ作品。ジェットコースターのように、揺れて、落ちて、ひっくり返るような視聴体験がしたい人にお勧めしたい。

 

 舞台は現代の東京・秋葉原。

 主人公は岡部倫太郎という都内理系大学の1年生。またの名を、鳳凰院凶真という(自称)。

 痛い。痛々しい。そう、彼は18歳にしていまだに中二病患者。末期だ。ステージ4だ。

 この作品は、中二病の彼が「世界を救う」作品である。CHUNI saves the world.

 といっても、当初本人には更々その気はない。秋葉原の雑居ビルの2階でヘンテコサークルを運営し、世の役に立たない発明をしては、中二心に宿るマッドサイエンティスト魂を昇華する日々である。

 そんな彼が、なぜ世界を救うのか。世界は中二病を待っていたのか。The world has waited for CHUNI? Maybe, no. 少なくとも僕は待っていない。邪気眼は開かないし、腕も疼かない。

  しかし、運命は、非情で、過酷で、気分屋だ。とにかくも、なぜか彼が選ばれた。Why CHUNI…? 主人公は、研究発表会に出かけた折に、ヒロイン牧瀬紅莉栖(という天才科学者)に衝撃的な形で出会い、その後、ヘンテコ発明品の予想外の使い道を発見する。

 それは、「過去の自分にメールを送ることができる」という機能だ。やるな、CHUNI。偶然の発明だけど。彼は、この時間遡行メールを使って、スピードくじを当てようとしたりする。噂を聞きつけてやってきた友人の過去改変のお願いも聞いてあげる。お人好し。中二の癖に。

  でも、過去を変えるってそんな気軽にやっていいのだろうか。映画やドラマのお約束だけど、だいたい意図しない方向n…あっ…

 

 ほら…

 

 あーあ

 

 言わんこっちゃない。

 

 「クレオパトラの鼻が低かったら、歴史は変わっていただろう」さすがパスカル。人類史上相当賢い部類の葦だけあって、世の道理を知っている。ちょっとの違いが大きな違いを生む。バタフライ効果ってやつだ。

  彼にこの箴言が届けばよかったのだが、自称マッドサイエンティストの耳には入らなかった。無念。いずれにせよ、世界は意図せず作りかえられてしまった。

 

 ん?

 あれ、救ってない。

 世界が救われてない。

 むしろ、曲げてしまった。

 

 というところで伏線回収ですよ、お兄さん。さっきちゃんと僕も書いておいた。何のための「天才科学者」だろうか。19歳の世界的科学者(女の子)が秋葉原をほっつき歩いているなんていうギャルゲーみたいな(ギャルゲーじゃないけど)、ご都合設定がここで活きなくてどこで活きるというのだろう。

 良かった、良かった。やはり人類を救うのは、天才だ。我々凡才は、彼らの溢れる才覚の、こぼれた滴をペロペロ舐めながら生きているのだ。天才最高。これから天才を崇めて生きていこう。信じよ!We believe in TENSAI!!

 

 ん?

 あれ、救ってない。

 「中二病の主人公」が救ってない。

 Where did the CHUNI go?

 

 というところで、伏線回収です、お姉さん。天才牧瀬が作ったあるシステムで世界を元に戻そうとするのだけど、実はそんなにうまく行かない。だってそれじゃ物語が面白くないもんねー。主人公の執拗で、頑固で、無邪気で、無鉄砲で、荒くれた、でも純粋で無垢な、ひたむきな中二魂が、未来を切り拓く。やったぜ。そうじゃないとね。

 

 こうして、世界は、救われ、、、、

 

 

 

 

 る、、、

 

 のか?

 

  本作は元々PC用ゲーム作品として売り出され、好評を博し、2011年に25話構成でアニメ化された。アニメ版は時間の尺の制限がありながらも、非常に構成が上手く、本作の魅力を過不足なく伝えている。ある展開が起こる9話以降ぐらいから、次が見たくて、次が知りたくて、視聴が止まらなくなると思う。僕はアニメを見て、ゲームまで買ってしまった。本当にプロットがよく練られた作品だ。海外アニメファンの評価も高い。

 PCゲームが出自ということもあり、ネットスラングが少し多めで、慣れない人は当惑するかもしれない。が、本筋には影響しないので、適宜聞き流そう。

 

 Wikipediaに本作の魅力を正確に伝えるファンからの意見がある。

 「記憶を消してもう一回プレイしたい」

 運命の門、シュタインズゲートへようこそ。

steinsgate.tv

名作紹介シリーズ:言の葉の庭

 「言の葉の庭」という映画・小説を紹介したい。

 「新海誠」作品である。

 この一文で分かる方は、ここでご退場いただいて構わない。以下の駄文は、彼の作品そのものが持つ魅力や説得力に遠く及ばない。「言の葉の庭」については、1)見た・読んだ人は今度会ったら語りましょう、2)見てない・読んでない人は是非見て・読んでくださいという分岐で終了だ。

 しんか、、にいうみ?と読めなかった方。過度に自由な日本の苗字は、ときにもどかしい。この小文をまだ彼を知らない貴方のために書く。これまで彼の作品群に出会わなかった人が、この一節を読んで出会う。こうした交差点になれれば、僕は本望だ。

 

 作品の紹介の前に、まず本作の作者について。

  新海誠(しんかいまこと)は、恋愛ものを得意とする映画監督・小説家だ。

 まず、彼は「距離」の作家である。

 彼のデビュー作「ほしのこえ」では、数光年離れた宇宙空間との超長距離メール恋愛が描かれる。出世作「秒速5センチメートル」は、東京栃木間という大人には中距離、子どもには長距離の舞台で、雪中の鉄道旅をするところから始まる。その後は、種子島に転校して更なる長距離となり、最後は山崎マサヨシ”One more time, One more chance”が球界の守護神よろしく舞台をキレイに締める。

  このように、新海誠は、非人知的なものにより動かされ、阻まれ、変容していく(又は変容しない)恋愛関係を描く職人である。

 

 そして本作では「天気」が舞台装置となる。

 より具体的に言えば、「雨」である。

  

 緑が露に濡れて煌めく、雨の新宿御苑。

 靴職人を目指す男子高校生と仕事をサボった20代後半の社会人女性が出会う。年の差12,13歳。

 早速になかなか特殊である。これまでそこそこ生きてきたが、靴職人を目指している人物には会ったことがない。足フェチの上位互換だろうか。それなら会ったことがある気がするけど。

 彼らにはあるポリシーがあって、「雨が降ったとき」しか会えない。ということで、梅雨明けして初夏ともなると、めっきり会えなくなる。面倒な人たちだ。

 しかし、このポリシー、霧のような小雨は該当するのか。降雨後、好天に転じたら?雹やあられが降ったら?諸賢からの突っ込みは尽きないと思うが、本作中にこうした限界事例は登場しない。

 この作品の本筋は、夢の実現にまい進する男子高校生と、社会に少し疲れたお姉さんの化学反応である。御苑の東屋で雨宿りしながら、彼らの距離は徐々に近づいていく。靴を脱いだり、去り際に万葉集の一節を呟いたりして思春期の男子を蠱惑するお姉さんはなかなかに罪作りだ。

  そして何より本作最大の魅力は、息を飲む映像美である。濡れてより色味を増す樹々の緑、葉脈に沿って集まる雨滴、池に反射する庭園の風景。ここまで現実に似せて描けて、動かせるという技術はすごい。実写と見間違う、むしろ、あまりに美しすぎるからこそ、これは実写ではなく絵なのだと気付く、といった方が正確かもしれない。

 ともかくも、この映像美は、日本の映像技術の極致として見ておくといいと思う。

 

 ここまで、新海誠監督のことはあえて「アニメ映画監督」とは呼ばなかった。一つには、「アニメ」といった瞬間に「**タソ萌え〜デォフフwwwコポォ」みたいな人向けだと思われるのが嫌というのもあるし、もう一つには、この呼称が、彼の表現領域の一部しか捉えていない不完全な表現だからだ。

 彼は、映画の後、同名の小説を書いた。微妙な修正、多少の補足はありつつ、ほぼ同内容の作品である。完成度の高い映画を作りながら、なぜ改めて小説を書いたのか。この点、彼は非常に自覚的に、映像と文章という2つの表現形式を突き詰め、映画には映画でしかできないこと、小説には小説でしかできないことをやろうと試みているのだ。

 小説での、「映像では表現できない表現」へのこだわり。例えば「水面に水彩絵の具を落としたみたいに、カラフルないたずら心が広がってくる」なんて表現は、映像では表せない。映画において精緻で鮮烈な色彩美で視神経を刺激する一方、小説では、比喩や語彙を総動員し、読者の想像力を喚起させる。僕は映像が作れない。文章を書くことしかできない。だからこそ、彼の小説家としての試みに今後も注目している。映像を作れる彼だからこそ、小説には、文章にしかできない差分が表われていると思うから。

 

 チラ裏文学論はさておき、爽やかな恋愛映画、さらっと気持ちのいい映画作品が見たい人は、是非どうぞ。映画は46分ほどと短く、視聴負担が軽いので、会社が早く終わったときでも見られます。映画を見たら、小説も読んでみると二度楽しめます。そんな感じ。

 

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